GUCCIの歴代デザイナーについて|グッチ


トム・フォード 引用thecut.com

こんにちは。ブランド古着のKLDです。

100年以上の歴史を誇るGUCCIは、一族経営のもと発展や困難な状況を経験してきました。

継承争いの末、一族経営に終止符を打ったGUCCIですが、新たにクリエイティブディレクターを迎え入れ、現在に至るまで数々の成長を遂げています。

今回は、

  • GUCCIとは
  • GUCCIの歴代デザイナー

という形でお話していきます。

GUCCIの歴史を形作った歴代デザイナーたちの足跡を辿り、それぞれがブランドにどのような影響を与えたのかを深掘りしていきます。

GUCCIとは?


引用wwd.com


引用instagram@gucci


引用fashion-press

GUCCI(グッチ)は、イタリアのフィレンツェで1921年にグッチオ・グッチによって創業されたラグジュアリーブランドです。

高級皮革製品の会社として創業し、現在は服、バッグ、シューズ、香水、時計、宝飾品など多くのジャンルを手がけています。

こだわり抜いてきたモットーは「最上の伝統を最上の品質で」「過去の良い物は現代に反映させて商品を作る」こと。

イタリアの職人技やイノベーションをベースにラグジュアリーを再定義しており、高品質な素材や洗練されたスタイルは、世界中の幅広い世代から根強く愛されています。

グッチの歴代デザイナー

時代とともに進化し続ける高級ブランド、GUCCI。
ここからは、GUCCIの歴代デザイナーについてお話します。

1921‐1988 グッチ一族

GUCCIは1988年まで血族による経営を行っていました。

GUCCIのブランド展開に携わった主な一族は、以下の5名です。

  • 創業者グッチオ・グッチ
  • 次男アルド・グッチ
  • 四男ロドルフォ・グッチ
  • アルドの息子パオロ・グッチ
  • ロドルフォの息子マウリツィオ・グッチ

創業者グッチオ・グッチ


グッチオ・グッチ 引用wikipedia

GUCCIの創業者であり、初期のデザインを手掛けていたのがグッチオ・グッチ。

1881年、イタリア・フィレンツェで麦藁帽子の商売を生業とする両親のもとに生まれました。

長きにわたりGUCCIの指揮をとり、困難な状況でも革新的なアイデアでブランドを成長させてきた人物です。

彼の優れたアイデアで生まれた代表的なアイテムといえば、「バンブーバッグ」。


引用fashion-press

バンブーバッグは、第二次世界大戦によって牛革が不足した際、代替品としてキャンバス地にコーティングを施した素材や、竹を使った持ち手を考案したことから誕生しました。

これが今までにないものとして評判になり、現在でもGUCCIの象徴的なコレクションとして存在しています。

また、ブランドの元祖として、世界で初めてデザイナー名(GG)を商品に刻印したのも、グッチオの功績です。

事業で大成功をおさめたグッチオは1953年に72年の生涯を閉じ、その後、息子たちにGUCCIは引き継がれます。

黄金期を支えたグッチオの息子、アルドとロドルフォ

創業者のグッチオには、5人の息子と1人の娘がいました。

グッチオの死後、会社を引き継いだのが、次男アルドと四男ロドルフォです。

グッチオがバンブーバッグを開発した頃、すでに事業に参加していたアルドは、亡くなったグッチオに代わり、会社の中心としてGUCCIに尽力してきました。


アルド・グッチ 引用wwdjapan.com

またアルドは、グッチオが認めるほどの、抜群のマーケティングセンスを持っている人物でした。

彼はその能力を発揮し、店舗拡大や海外進出、また香水や時計といった新事業の展開などを押し進め、ブランドを大きく成長させたのです。

さらに、GUCCIの代名詞ともいえる「GGマーク」を創作したことでも有名です。

一方、四男ロドルフォは、最初は家業に興味を示さず、俳優としてのキャリアを培っていました。


ロドルフォ・グッチ 引用wikipedia

しかし1953年、グッチオの死をきっかけに俳優を辞め、本格的にGUCCIに参加することに。

兄弟の中で最もおしゃれで、華やかな芸能界で活躍していたロドルフォは、その美的センスを活かし、豪華で洗練されたデザインを次々と生み出しました。

また、彼が映画の小道具でGUCCIのアイテムを提供したことがきっかけで、セレブリティの間で話題となり、ますますGUCCIの人気が高まったそう。

グッチオの死後、アルドはビジネス面で、ロドルフォはデザイン面で会社に貢献し、黄金の1960~1970年代を築きました。

さらにこの時期には、GUCCIにおける数々の代表的なデザインが生まれています。

ウェブラインやジャッキーバッグ、ホースビットローファー、フローラスカーフなどは特に有名なコレクションです。

デザインの才能に長けたトラブルメーカー、アルドの息子パオロ・グッチ


パオロ・グッチ 引用wwdjapan.com

アルドには3人の息子がいて、中でも若い頃からGUCCIのローマ店で接客の手伝いをしていたのがパオロだったそう。

ただ、接客よりデザインすることを好んでいたパオロは、やがてアイデアを製品化するコツをつかみ、GUCCIすべての製品ラインにおいてその才能を発揮しました。

1982年からは、数シーズンですが、GUCCI初のプレタポルテコレクションのデザインを担当。

しかし、圧倒的な実力はあるものの、会社の方針に従わなかったり、協調性のない行動をしたりして、一族のトラブルメーカー的な存在だったため、GUCCIから追放されています。

一族最後の社長、ロドルフォの息子マウリツィオ・グッチ


マウリツィオ・グッチ 引用wwdjapan.com

一族最後の社長となったのが、マウリツィオ・グッチです。

1948年にロドルフォの一人息子として生まれ、1970年代からGUCCI事業に参加しています。

プレタポルテ事業を成長させたり、革新的なデザインによって新しい顧客層を獲得したりするなど、一定の功績を収めた人物です。

しかし、アルドの息子たちと対立し、経営権を巡る争いがエスカレート。

最終的にマウリツィオはGUCCIの株を手放し、一族は1993年にブランド経営から完全に離れることになりました。

1989‐1993 ドーン・メロー


ドーン・メロー 引用nytimes.com

グッチ一族による経営の幕切れによりバトンを受け取ったのは、アメリカ出身の実業家、ドーン・メローです。

彼女は、1970年代半ば頃に“死に体”だと酷評されていたニューヨークの高級デパート「バーグドルフ・グッドマン」を再建し、“アメリカ小売業界のスター”と称えられた人物です。

当時、バーグドルフ・グッドマンの社長の座にいたドーン・メローを、猛烈なアプローチで引き抜いたのがマウリツィオでした。

一族の争いで人気が低迷していたGUCCIを、60~70年代の魅力的であったGUCCIを取り戻すべく、マウリツィオは彼女に声をかけたのです。

そして1989年、ドーン・メローはGUCCIの副社長兼クリエイティブディレクターに就任しました。

彼女は、まず市場に飽和した商品から種類を限定し、現代的なアレンジを施してリリース。

また、プレタポルテこそがGUCCIの新しい個性を作ると確信していたドーン・メローは、外部から数名のデザイナーを引き入れました。

その中に、後にGUCCIのクリエイティブディレクターとなる、まだまだ若手だった「トム・フォード」もデザインチームにいたのです。

ドーン・メローは数年続いていた経営不振から少しずつ回復することに成功し、GUCCI再生のスタートを切りました。

1994‐2004 トム・フォード


引用wwdjapan.com

不況に苦しんでいたGUCCIの救世主となったのが、トム・フォードです。

テキサス出身の彼は、元々俳優を志していましたが、建築やアートにも興味を持ち、大学を卒業する頃にはファッション業界で働くことを決意。

GUCCI加入前は、アメリカのファッションブランド「ペリー・エリス」で働いていました。

ドーン・メローの元でデザイナーとして働いていた頃は、感性豊かな才能を発揮し、4年間にわたりコレクションのデザインを手がけていました。

そして1994年、トム・フォードはドーン・メローの熱心な推薦によってクリエイティブディレクターに就任。

就任後さっそく、従来のクラシックなGUCCIの型番をデザインし直し、新しいひねりを加えた革製品を生み出しました。

また、素肌を美しく見せる素材や身体にフィットするパンツ、光沢感のあるパンプスなど、エネルギッシュかつセクシーなテイストを加えたデザインもトム・フォードならでは。


GUCCI1997年春 引用vogue.com


GUCCI1995年秋 引用vogue.com

過去の商品の伝統を残しながらも、現代に合わせたデザインを意識し続けたトム・フォードは、新たなGUCCIのスタイルを確立したのです。

これは「フォードスタイル」とも呼ばれるようになりました。

さらに、彼はアイテムのデザインだけでなく、店舗や広告、ショーの演出にもこだわり、顧客やファッション評論家たちの心をつかみました。


1995年秋で披露されたルックを同年のMTV音楽ビデオ賞で着用したマドンナ 引用fashionista.com

マドンナやケイト・ウィンスレットなど世界的セレブにもGUCCIのアイテムを身に着けてもらい、マーケティング面でも力を発揮。

これらのGUCCIの革新には反対意見も多く挙がりましたが、世界中のセレブたちがこぞって着用して注目を浴び、結果、大成功をおさめることになります。

破産状態を復活させたトム・フォードは、就任から2004年までの10年間、GUCCIのデザイナーを務め上げました。

GUCCIが現在のようなラグジュアリーブランドとしての地位を築いているのは、トム・フォードの貢献が最も大きいといえるでしょう。

2004‐2005 アレッサンドラ・ファキネッティ


アレッサンドラ・ファキネッティ 引用fashion-press

2004年よりトム・フォードの後任を務めたのは、アレッサンドラ・ファキネッティです。

彼女は1972年にイタリアで生まれ、学生時代は主に彫刻や建築、芸術、デザインなどを学んでいました。

ミラノのファッション専門学校、インスティテュート・マランゴーニを卒業後、MIU MIUでデザイナーとしてのキャリアをスタート。

MIU MIUで7年間働いた後、2000年にデザインディレクターとしてGUCCIに参加し、トム ・フォードを裏で支えてきました。

2004年にトム・フォードがブランドを去ると、アレッサンドラはレディースラインのクリエイティブディレクターに就任。

しかし、会社と方針を巡る意見の相違を理由に、わずか2シーズン(18か月)でクリエイティブディレクターを辞任しました。

2004‐2006 ジョン・レイ


ジョン・レイ 引用businessoffashion.com

トム・フォード退任後、たった2年間でしたが、メンズラインのディレクターを担当していたのがジョン・レイです。

スコットランド出身のジョン・レイは、グラフィックデザインを学んだ後、広告会社に就職。

その後、1986年にロンドンでメンズウェアデザインを学び、1992年キャサリン・ハムネットに入社。

1996年、GUCCIのメンズウェアコンサルタントとして移籍し、デザインチームに加わります。

そして、2005SSからGUCCIメンズ部門のトップとして、ミラノメンズコレクションの舞台で活躍。

2006年にメンズデザイナーの座をフリーダ・ジャンニーニへと引き継ぎ、GUCCIから離脱しています。

4シーズンという短期間ではありましたが、彼の手掛けたGUCCIのデザインは一定のファンが存在するほど人気のあるものでした。

2005‐2014 フリーダ・ジャンニーニ


フリーダ・ジャンニーニ 引用wwdjapan.com

2005年、フリーダ・ジャンニーニがGUCCIのクリエイティブディレクターに就任しました。

1972年にイタリアで生まれた彼女は、ローマ・ファッション・アカデミーを卒業後、FENDIのレザーグッズを担当。

2002年にGUCCIへ移籍し、2004年にアクセサリー部門、2005年にはレディース部門のクリエイティブディレクターに就任。

2007年からは、2006年にジョン・レイから引き継いだ、メンズのクリエイティブディレクターも担当。

これで、GUCCIのメンズ・レディース両方の指揮をとることになります。


2005クルーズコレクションで刷新したフローラプリントを発表 引用nytimes.com

フリーダ・ジャンニーニは、フローラプリントやホースビットモチーフなど、GUCCIの伝統的なアイコンを蘇らせることで、ブランドに新たなエネルギーを与えました。

デザインだけでなくインテリアや建築面でも自身のコンセプトを落とし込むなどして、10年以上にわたってブランド全体を牽引。

精力的に活動し、多数のデザインを発表していましたが、2015年にクリエイティブディレクターを退任しました。

2015‐2022 アレッサンドロ・ミケーレ


アレッサンドロ・ミケーレ 引用wwdjapan.com

2015年にフリーダ・ジャンニーニからバトンを受けたのは、鬼才とも呼ばれているアレッサンドロ・ミケーレです。

1972年にイタリアで誕生したミケーレ。
ローマのファッションアカデミーでファッションを学び、1994年イタリアのニットブランド「レ・コパン」でキャリアをスタートさせます。

その後、1997年にFENDIへ入社し、アクセサリー部門のシニアデザイナーとして活動します。

2002年、ミケーレはGUCCIへ移籍。
この移籍は、トム・フォードから熱烈なスカウトを受けて決定したといわれています。

そして2015年、独特の感性が注目され、GUCCIのクリエイティブ・ディレクターに大抜擢。
ミケーレは、低迷期から復活したGUCCIにさらなる追い風を吹き込むことになります。


GUCCI2018AW 引用fashion-press

ミケーレのコレクションの特徴は、ジェンダーレスやストリート文化、多様性などファッションにとらわれないインスピレーションを反映したデザインです。

一方、グッチの伝統的なアイコンも大切にしており、それらを取り入れた新鮮なデザインを手掛ける手腕もありました。

新生GGロゴやロックスタイルにアメカジスタイル、オールドグッチを踏襲したクラシカルなスタイルなど、ミケーレの斬新な世界観は多くの人々の心を掴み、新たな顧客層の獲得にも成功。

また、ミケーレは日本のキャラクター「ドラえもん」や「ばなにゃ」、イラストレーターの「ヒグチユウコ」とコラボも展開し、日本国内でも高い人気を集めています。

型にはまらない革新的なデザインでGUCCIを盛り上げたミケーレでしたが、2022年に多くの人々に惜しまれながらクリエイティブディレクターを退任しました。

アレッサンドロ・ミケーレについてはこちらもどうぞ

2023‐現在 サバト・デ・サルノ


サバト・デ・サルノ 引用wwdjapan.com

GUCCIの新たなクリエイティブディレクターとして抜擢され、注目を集めているサバト・デ・サルノ。

1983年にイタリアで生まれたサバトは、PRADAやDolce&Gabbanaなど、数多くのメゾンでデザインに携わった経歴を持つ実力派デザイナーです。

2009年にはValentinoに入社。

始めはメンズ・ウィメンズのニットウェア部門に配属され、やがていくつかの昇進を経験し、最終的にはプレタポルテを統括するファッションディレクターを務めました。

また、彼はデザインだけでなく、プロモーションやマーケティング戦略にも関わり、当時のValentinoのクリエイティブディレクター、ピッチョーリの右腕のような存在として活躍しました。

そして2023年、アレッサンドロ・ミケーレの後任が謎に包まれていた中、突如としてGUCCIのクリエイティブディレクターへの就任が発表。

このことがきっかけで、サバトの名前は一瞬にして世界中に広まりました。

2023年9月には、ミラノでデビューコレクション​​「GUCCI ANCORA」が披露されました。


2024SS GUCCI ANCORA 引用fashion-press

テーマカラーの深い赤色、「アンコーラ」もサバトを印象づける要素といえるでしょう。

前任のミケーレのクリエイティブとは一変し、モダンで大人なデザインを打ち出しているのがサバトの特徴です。

また、GGロゴやホースビットなど歴史あるアイコンも、新たな解釈を交えながら継承しているのが印象的です。

今後も彼の才能がGUCCIでどのように発揮されるのか楽しみです。

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ここまで読んでくださった方へ

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

これまで独自のクリエイティブを反映させ、GUCCIを成長させてきた歴代デザイナーたち。

これからもGUCCIの歴史や伝統を尊重しながら、デザイナーたちの力によって発展していくでしょう。

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