
引用allthatsinteresting
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
イギリスのストリートカルチャーを語る上で欠かせない「モッズ」と「スキンズ」。
ロンドンでパンクが誕生する前に、UKユースカルチャーとして流行したスタイルです。
これらのカルチャーは単なるファッションスタイルを超え、階級、音楽、政治、アイデンティティを表現するものとして機能してきました。
今回はその起源や発展、ファッション、音楽、マインドなどを、時系列に沿って紐解いていきます。
目次
モッズの誕生
1950年代後半〜60年代初頭、ロンドンの若者たちが「モッズ(Mods)」というカルチャーを生み出しました。
モッズの人たちは労働者階級や中産階級出身でありながら、”上品かつ洗練された見た目”を追求していたのが特徴です。
ファッションや音楽、ライフスタイルに強いこだわりを持ち、とにかくおしゃれであることが何よりのステータスとしていました。
このムーブメントはロンドンとその近郊の都市部で巻き起こり、戦後の好景気で自由になる金銭を得た労働者階級の若者たちが中心となり広がりました。
ちなみに「モッズ(Mods)」という言葉は、「モダニスト(Modernist)」の略称です。「モダニスト」とは、当時流行していたビバップやモダン・ジャズの演奏者やファンを指す言葉であり、これが短縮されて「モッズ(Mods)」となりました。
ファッションの特徴
当時のモッズを描いた映画「さらば青春の光」より 引用pinterest.jp
ファッションは、細身のテーラードスーツ、ネクタイ、雨やスクーター移動に備えて羽織るM-51パーカをメインにコーディネートするのが特徴。
M-51パーカ 引用mash-japan
のちに「モッズコート」って呼ばれるようになるM-51パーカは、アメリカ軍の野戦用コートで、正式には「M-1951フィールドパーカ」という名前です。
ロンドンなのになぜアメリカの軍ものが手に入るのか?というと、第二次世界大戦の頃、アメリカ軍はヨーロッパ各地に駐留しており、終戦後にアメリカ軍の払い下げ品がたくさん出回っていたことが要因です。
当時の若者は、安価で手に入る軍隊の払い下げ品などをコーディネートに取り入れ、今見ても格好いいと思える「細身のスーツ×軍ものパーカ」という組み合わせを楽しんでいました。
スーツに関しては、絶対に「細身で三つボタン」。襟元の開きが小さければ小さいほど良いらしく、そこから細いネクタイを覗かせる…というのがセオリーだそうです。
シャツは、ボタンダウンシャツやタイトめなポロシャツも人気です。
デザートブーツ 引用clarks
靴はローファーやチェルシーブーツが定番で、カジュアル寄りなモッズはデザートブーツもよく履いていたそう。
伝説的なブティック
ジョン・スティーブン(右はマリー・クワント)引用pinterest.jp
また、当時のモッズにとって欠かせない服屋さんがありました。
それが、ジョン・スティーブンというオーナーが手がける「His Clothes」という店を始めとする数々の店舗です。
カーナビー・ストリート 引用visitlondon
ジョン・スティーブンは「カーナビー・ストリート」という、後にモッズの聖地となる場所におしゃれな服屋さんを複数経営し、カーナビー・ストリートを作り上げた存在として知られています。
ジョン・スティーブンの店舗のうちの一つ「メイルウェストワン」引用pinterest.jp
黄色く塗った店内でポップミュージックを大音量で流しながら、流行のデザインの服を安く提供し、彼のお店は、当時としては革新的な「ファストファッション的なメンズの服屋さん」でした。
特にHis Clothesでは細身のシルエットがモッズの若者にもウケて、若者たちが集まる伝説のブティックになったのです。
モッズ文化を象徴するスクーター
さらに、モッズを語る上で外せない文化といえば、スクーターです。
特に『ベスパ』や『ランブレッタ』のようなイタリア製のスクーターは、モッズのアイコンだったそうです。
ド派手なカスタムもモッズ特有の文化で、大量のミラーやライトを装着したり、装飾的なパーツを付けたりなど、派手なカスタムが流行っていました。
日本で言う暴走族的な(?)、独自の美学だといえます。
ただ、スピードを出して暴走みたいなことはせず、むしろゆっくり走らせ、カスタムしたスクーターと格好いいファッションを見せつけるように街を流していたそう。
現在もロンドンでは、こういったモッズ仕様にカスタムしたスクーターの愛好者たちのオフ会的なものが開かれています。
それで、なぜスクーターだったのか?というと、当時、若者としては車はなかなかの高級品で手が出せないけど、「スクーターなら頑張れば買える!」という金銭的な理由が大きいようです。
もともと戦後に大量にイタリアのスクーターが輸入されたこともあり、それを見た若者たちが「格好いいじゃん!」となって流行しました。
また、細身のスーツでエレガントに乗りこなすなら、足を開かなくても乗れるスクーター!という考えもあったのかと思います。
音楽カルチャー
音楽面では、当初はモダン・ジャズを好んでいたものの、次第にR&Bやソウル、ビートミュージックへと傾倒。
特に『The Who』や『Small Faces』といったバンドが、モッズの代弁者的な存在になっていきます。
また、モッズにとってはクラブカルチャーも重要でした。
週末になると仲間たちとダンスクラブに繰り出し徹夜で踊る…こういう生活スタイルが彼らの中心でした。
1964年頃、The Scene Clubの外でスクーターに乗ってポーズをとるモッズの一団 引用allthatsinteresting
先述したブティックのHis Clothesがあるカーナビー・ストリートからすぐ近くにあった「The Scene Club」などのクラブが有名でした。
昼はHis Clothesでシャツを買い、夜はThe Scene Clubに踊りにいく…のような流れだったのでしょう。
このように彼らはとにかく“スタイル命”で、仕事で稼いだお金は全て洋服やレコード、スクーターに注ぎ込んでいたのです。
モッズと対立するロッカーズ
そんな時代、実はモッズと対立する一派がいました。それが「ロッカーズ」です。
ロッカーズは、モッズとちょうど同時期くらいの1950年代後半〜60年代前半くらいが全盛期のスタイルやカルチャーです。
レザージャケットにリーゼント、そして大型バイクにまたがる“バイク族”という見た目や雰囲気が特徴。
音楽の好みは『エルヴィス・プレスリー』や『ジーン・ヴィンセント』など、ロカビリーや古典的ロックンロールを愛するワイルドで無骨な人たちです。
クラブなどにも行かず、音楽は基本的にカフェのジュークボックスで聴くようなスタイルを好んでいました。
モッズから見るとロッカーズは古く感じられて野暮ったく、それに対し、ロッカーズから見たモッズはなよなよした男らしさの無いやつらという感じだったそう。
洗練されたおしゃれを追求していたモッズとは対象的な存在で、街中ではしばしば喧嘩などが勃発していました。
ロッカーズとの乱闘事件
そんな中、1964年5月、イングランド南部のブライトンで乱闘事件が起こります。
イギリスには年に数回「バンクホリデー」という祝日があります。
春のバンクホリデーは連休になることが多く、海辺のリゾート地に旅行するのが伝統的な過ごし方とされています。
ブライトンに向かう道中でも争いが勃発していたモッズとロッカーズたち 引用languageunlimited
この年の連休も多くの若者が「ブライトン」というリゾート地に集まっていました。
その中にモッズとロッカーズの若者がいて、口論から乱闘事件にまで発展したのです。
殴り合い、投石、店舗破壊…などなど、お互いが暴れまくり逮捕者が多数出るまでの大ごとに。
この事はメディアに大々的に報じられて、モッズやロッカーズが「危険な若者世代」のようなイメージを持たれる原因の一つとなったのです。
スキンズの登場
そして、モッズとロッカーズの争いが自然と沈静していった1960年代後半、モッズ文化の一部がより進化した「スキンヘッズ(Skinheads)」というカルチャーが登場しました。
モッズよりもさらに労働者階級に根ざしており、より男臭い感じのスタイルが特徴で、略して「スキンズ」と呼ばれています。
彼らは、当時の社会的不安や経済的な背景の中で、自らのアイデンティティと反骨精神を表現するために独自のスタイルを生み出しました。
スキンズはモッズ文化を起源としているカルチャーですが、彼らは移民との友好関係もあり、労働者階級の誇りや反骨精神を象徴する存在です。
ファッションの特徴
ファッションは、ハリントンジャケットやBen Shermanのシャツを羽織り、ロールアップしたジーンズをサスペンダーで吊って、ドクターマーチンのブーツを履くのがお決まり。
そしてなんといっても「スキンズ」という名の通り、坊主頭または極端に短い髪型をするのが彼らの大きな特徴です。
実用性のあるジャケットやタフなジーンズ、作業靴として開発されたドクターマーチンなどを取り入れる感じは、まさに「労働者階級の誇り」を表現した格好いいスタイルだといえます。
音楽カルチャー
音楽的には、当初はジャマイカ移民が持ち込んだスカやロックステディ、レゲエなどを強く好んでいます。
クラブやパブ、小さなレコードショップなどで仲間と集まり、煙草やビールを片手に大音量で音楽を楽しんでいたそう。
また、リズムに合わせて「ムーンストンプ」と呼ばれる大きく足を踏み鳴らすダンスも定番でした。
初期のスキンズには黒人や移民系の仲間も多く、かなり多民族的な文化だったため、音楽は仲間と絆を深める手段でもあったのです。
思想の分裂により過激化するスキンズ
70年代半ばに入ると、その頃のスキンズのスタイルは少し時代遅れ感が顕著になりつつありました。
ヒッピーカルチャーを代表するサイケバンド「Grateful Dead」引用vermontrepublic
世の中のトレンド的にも、新しく入ってきたサイケやヒッピー文化、グラムロックなどが主流となっていました。
また、当時のイギリスでは若者の失業率が上がったり、極右団体が台頭したりして、社会的な不安が強くなる状況でもあったため、スキンズの勢いは次第に失速していったのです。
セックス・ピストルズ 引用stealthelook
そんな中、1976年、セックス・ピストルズの登場によりロンドンにはパンクムーブメントが起こります。
このパンクの勢いは、スキンズの音楽の好みなどと相性がよかったこともあり、スキンズの一部はパンクに吸収されたり触発されたりしながら、スキンズも勢いを取り戻していきます。
しかし、この頃まだまだ社会的・政治的な不安はあったため、「俺たちの失業は移民のせいだ!」という考えのもと、極右的な思想を持つスキンズが出てきたのです。
それに対して反差別を掲げるスキンズの一派も出てきて、思想がはっきりと分裂していったのです。
1980年代後半には反人種差別を掲げるスキンヘッズグループ「SHARP(Skinheads Against Racial Prejudice)」が出現 引用wikipedia
これは元々、同根のスキンズとして仲良くしていた黒人や移民系のスキンズが、右傾化していくスキンズたちに対して「それは違う!」となり動き出したり、移民などの多文化に強いリスペクトを持っていた白人のスキンズたちが中核を担って立ち上がったり…という経緯があったようです。
思想的には分かれていきましたが、ファッション的にはスキンズの基本である「労働者階級の誇り」を示すスタイルを継続していました。
ただ、シャツやジャケットの胸元にそれぞれの思想に則ったバッチを付けるなどして、差別化をしていたようです。
その後、分裂したうちの極右的なスキンズの過激な活動がメディアに取り上げられたことによって、「スキンズ=極右の人たち」というイメージを持たれることが多くなりました。
それまでのモッズやロッカーズの若者は、政治面ではどちらかというと中立っぽい立場を取るか、興味を示さないという層が大半でしたが、スキンズはそもそも黒人や移民が多いカルチャーという事もあり、思想の分裂が顕著に現れたのかもしれません。
その後のモッズとスキンズについて
右傾化したスキンズのバンド「Skrewdriver」 引用fandom
先述したように、スキンズは内部で思想が分裂し、右傾化したスキンズ達はかなり排他的な思想を発信していたため、孤立してアンダーグラウンドな方向へ。
自由で柔軟な考えを持つスキンズ達は、パンクなどと共生しながらそのスタイルを継承していくことに。
モッズに関しては、その後「やっぱこのファッション格好いいよね!」ということで、何度もそのスタイルがリバイバルされることになります。
ヒッピーやサイケが流行っていた60年代後半くらいにモッズは一旦廃れましたが、70年代の終わりに「モッズ・リバイバル」という、“クラシックな反抗精神”としてモッズが再評価されています。
The Jam 引用pinterest.jp
バンドでいうと『The Jam』などがモッズのファッションを取り入れていました。
80年代のモッズ 引用britishculturearchive
その後の80年代もモッズリバイバルの熱は残っており、細身のスーツ、ポロシャツ、スクーター文化などは、UKストリートの定番として定着していきます。
さらに90年代、『Oasis』や『Blur』などのブリットポップのバンドがモッズの精神を受け継いで、少しひねくれた反骨精神をクールに表現していました。
Oasisのリアム・ギャラガー 引用pinterest.jp
このような感じで、モッズは度々リバイバルされながら“洗練された不良”として、イギリスのクラシックなスタイルの一つとして存在するようになったのです。
ちなみに、ロッカーズはあまり大々的なリバイバルなどはありませんでしたが、ノスタルジックな文化やスタイルとして熱狂的なファンに愛され続けています。
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ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
モッズとスキンズと、少しロッカーズについてお話しました。
この頃のファッションは、単なるスタイルやコーディネートだけではなく、当時の若者たちの個性や情熱を象徴しているのが分かります。
現代のファッションにおいても、モッズやスキンズ、またロッカーズのスタイルや精神が色濃く影響していますよね。
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