
- sacaiってどんなブランド?
- 阿部千登勢さんについて
- sacaiを形作る要素について
目次
sacaiとは?



デザイナー

sacaiを形作るもの
仕立て屋の母
千登勢さんの母は仕立て屋で、仕事以外のときでもオリジナルの服や小物を作っては近所の人に販売などしていたそうです。 そんな母の元で育ち、幼い頃から身近にファッションを感じ、生活の中にミシンやアイロン、デザインがあることも千登勢さんにとってはきっと当たり前のような環境だったのでしょう。 幼い頃は人と同じような服装をするのを好まなかったようで、友達に真似されるとすぐにへそを曲げていたと言います。 また、「ベルボトムを周りの子と同じように履きたくないから」と母に頼んでスリムなデザインにしてもらったり、高校生になると他のブランドの服を自分でミックスさせたりしていたそうです。 オリジナリティー溢れるファッションを着こなす千登勢さんは、地元では「奇妙な服装をしている」とちょっぴり有名人で、母には「一緒に歩きたくない」と言われたこともあるそうです。 とは言え、今の千登勢さんがあるのは、仕立て屋の母を持ち、幼い頃からファッションに強いこだわりを持ち、そして母親譲りの器用さがあるからではないでしょうか。きっかけは三宅一生さん
千登勢さんがデザイナーを目指し始めたのは小学5年生の頃で、きっかけとなったのは、何気なく見ていたテレビに映し出されたISSEY MIYAKEのデザイナーである三宅一生さんでした。 三宅一生さんについてはこちら その瞬間に「これになりたい!」と思ったそうで、その日から現在に至るまで、デザイナーという夢を変わらずに持ち続けてきたんだとか。 千登勢さんのファッションに対するこだわりが現れ始めたのも丁度小学生の頃だったようで、小学生の頃は、その年ではなかなか選ぶことの無さそうなフレンチカジュアルの「ドゥファミリィ」というブランドがお気に入りでした。

COMME des GARCONSでの経験
千登勢さんは、1989年に強く憧れていたCOMME des GARCONS社に入社を果たしました。 千登勢さんにとって、今のsacaiの世界観を作り上げるベースとなったものこそが、COMME des GARCONSでの「ファッションとは?」といった根本的な所から深く考えさせられる経験だったと言います。 コムデギャルソンについてはこちらの記事もどうぞ 入社した頃は、丁度デザイナーの渡辺淳也さんが自身のブランド「JUNYA WATANABE」を立ち上げようとしている最中で、千登勢さんもブランド立ち上げのチームに加わることになります。![]() |
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始まりは数少ない型から

服作りへのこだわり
基本的に「自分が着たいと思えるもの、心から良いと感じるもの、他にはないもの」にこだわっています。 そして何より「sacaiらしい」と言ってもらえるように、テーマありきの服作りはしないことを意識していると言います。 現在も1シーズン毎に150型以上の全てのサンプルに袖を通し、とにかく自分が好むものでないと商品にはしないという徹底ぶりです。 千登勢さんはよく「あきらめるな」という言葉を使うそうですが、これは以前働いていたアパレル会社の、先輩方の素材調達や服作りへの執念から生まれた言葉であったようです。 その教えのお陰で千登勢さんには、納得いくものが見つかるまで世界中を探し回るくらいの「最後まであきらめない」精神が身に付きました。 コンセプト「日常の上に成り立つデザイン」は、”生きていく上で大切な事は沢山あって、日々変化する日常を過ごしている私たちが作る服”というsacaiらしさを表しています。 しかし、”日々目まぐるしい日常を過ごす中でも、どんなに大変でも諦めずに自分が着たい服を作る”そんな千登勢さんらしい意味もこの言葉の裏には隠れているような気がします。夫の存在


関連リンク
こちらでもsacaiについての記事がお読みいただけます。ここまで読んで下さった方へ
ここまで読んでくださりありがとうございました。 今回は、sacaiというブランドを形作るピースのような形で、デザイナーの阿部千登勢さんが持つ、様々な要素をご紹介しました。 千登勢さんがどのようなルーツやこだわりを持つ人物なのかが少しでも見えたのではないかと思います。 KLDでももちろんsacaiのお買取り強化をしています。 sacaiのこれまでのお買取り履歴はこちら
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