
引用anouchka
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
ファッションニュースやコラムなどを見ていてよく見かける言葉、「脱構築」。
コムデギャルソンやメゾンマルジェラなど、脱構築的な手法を得意とするブランドは多々ありますが、その意味を本当に理解して使えている人は意外と多くないのではないでしょうか?
今回は、
- 脱構築とは何なのか
- ファッションにおける脱構築とは?
- 脱構築のデザイナーたち
という形でお話していきます。
哲学の話題にも触れるので、出来るだけ分かりやすくお話していきます。
「改めて脱構築の意味を知りたい!」という方にぜひお読みいただきたいです。
動画バージョンもありますのでこちらもどうぞ
目次
『脱構築』とは何か
まず、『脱構築』とはそもそも何なのか?をお話していきます。
哲学的な背景
ジャック・デリダ 引用hatenablog
『脱構築(Deconstruction)』という言葉は、フランスの哲学者 ジャック・デリダ(Jacques Derrida) によって提唱された概念です。
デリダは、1960年代に、当時主流だった『構造主義』への批判としてこの考えを発展させました。
構造主義とは
『構造主義』は、言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの研究を基盤とし、1960年代にはクロード・レヴィ=ストロースが人類学の分野で発展させたと言われています。
クロード・レヴィ=ストロース 引用hatenablog
かなり要約した表現にはなりますが、「人間の思考や文化は、個人の自由な意思や本質によるものではなく、社会的・言語的な構造(体系)によって形成される」という考え方です。
「言葉の“意味”は他の言葉との関係によって決まる」という思想が根本にあり、それは例えば「“猫”という言葉の意味は“犬”との違いから生まれる」というようなものです。
例えば、血液型占いで「A型=几帳面」「B型=自由人」「O型=おおらか」「AB型=独特な感性」というような定義があったとします。
この定義(意味)は、それぞれ他の血液型との比較によって作られており、もし世界にB型しかいないのであれば「B型=自由人」という定義は存在しないということになる…というようなものです。
構造主義は、私たちの個性や考え方も、私たち自身から自然発生的に生まれるのではなく、他者との関係や社会規範社(構造)から生まれるという立場をとります。
脱構築とは
しかし、デリダは「言語や文化における“意味”は、常に他の要素との関係性によって成り立ち、固定されたものではない」と指摘しました。
これが『脱構築』の根本的な思想となっています。
構造主義における「構造(他者など)」の中で“意味”が作られることは認めつつも、その構造は常に流動的であり、構造によって作られた“意味”は変化していくものであり、また、その構造自体も揺れ動くため、“意味”も絶えず再解釈され、決して一つの固定されたものにはならないという考え方が、脱構築の軸になっています。
これは、物事を「正/誤」「男/女」「善/悪」などの二項対立で捉える考え方自体が揺らぐことを意味します。
デリダは、私たちが普段当たり前に使っている言葉や概念が、実はこうした二項対立の枠組みによって成り立っていることを指摘し、その枠組みを問い直すことこそが「脱構築」だと考えました。
つまり、あるものの“意味”は決して一つではなく、それを成り立たせている枠組みを問い直すことで、異なる視点が生まれる、とデリダは提唱したのです。
例えば前述したような、他者との比較によって作られた血液型占いの定義について、
「そもそも血液型の区分けは4つなのか、国や文化、より詳細な検査によってより細かい区分けが存在するのではないか」
「人間を分ける要素は他にも色々あるのに敢えて血液型で分けるのは何故か」
「「自由人のA型」「几帳面なB型」のような存在を無視していないか、血液型による診断が可能だとしても、よりグラデーションのあるものなのではないか」
など、その枠組み自体を「決まったものではない」流動的なものとして捉え、問い直すというという考え方が、脱構築の根幹といえます。
デリダの提唱した『脱構築』は、哲学だけでなく、文学、建築、ファッションなどさまざまな分野に影響を与えています。
ファッションにおける脱構築とは?
ここまで、デリダが提唱した『脱構築』の、いわば触りの部分をお話してきましたが、ファッションの世界でいう『脱構築』とは、伝統的な服の構造やルールを解体し、新たなデザインを生み出す手法を指します。
一般的な服のデザインは、完成されたシルエットや機能性を重視しますよね。
しかし、脱構築ファッションは、「服とは何か?」という根源的な問いを投げかけ、意図的に未完成なデザインや破壊的な要素を取り入れることで、ファッションの枠組みを崩すことを指します。
たとえば、裏地を表に出す、ジャケットの袖を切り落とす、意図的にズレた縫製をする、服を解体して再構築する…などの技法があり、これは単なる『壊れた服』ではなく、従来の美意識や規範を再考し、新しい価値観を提示することが目的のデザインといえます。
脱構築ファッションは、1980年代から1990年代にかけて台頭し、特に マルタン・マルジェラ(Martin Margiela) や 川久保玲(Comme des Garçons) のようなデザイナーたちによって広められました。
しかしファッションにおける脱構築は、『従来のファッションの枠組みを再考し、新たな価値観を提示しようとする試み』ではありながら、これらの手法が広まり、一つのスタイルとして確立されてしまったとき、それは本当に脱構築的であり続けるのか?という問いも生まれます。
例えば、90年代にマルタン・マルジェラが提示した脱構築的なコレクションの『手法』だけが抜きだされ、再生産されたとしてもそれは『問い』を持たず、脱構築風のデザインに留まるということになります。
このように、現在ファッションにおいて『脱構築』と呼ばれているものは、デリダの提唱した脱構築と共通する部分を持ちながらも、哲学的なプロセスというよりは、一つのデザイン手法として確立されたものといえます。
脱構築のデザイナーたち
ここでは、実際にどのようなデザイナーたちがファッションに脱構築的な思想を持ち込んだのか?についてお話していきます。
ファッションにおける脱構築を語るとき、まず最初に取り上げるべきは マルタン・マルジェラと川久保玲です。
彼らは単に“デザインの手法”として脱構築を用いたのではなく、90年代にファッションの枠組みそのものを疑い、解体したデザイナーで、真の意味で脱構築をおこなった2人です。
その影響は計り知れず、以降のデザイナーたちにも脱構築的なアプローチが見られますが、彼らほどの衝撃を生み出すことはなかったといえます。
こちらでは、まず純度100%の脱構築を実践した二人を掘り下げ、その後、彼らの影響を受けながらも異なる方向性を持ったデザイナーたちについて触れていきたいと思います。
マルタン・マルジェラの「裏返し縫製・解体再構築」
マルタン・マルジェラ 引用pinterest
マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)は、ファッションの脱構築を象徴するデザイナーの一人です。
特に有名なのが「裏返し縫製(インサイドアウト)」や「解体再構築」という技法。
「裏返し縫製(インサイドアウト)」 引用not-fashion
「裏返し縫製」では、服の裏地や縫い目があえて外側に見えるようになっており、通常隠されるべき構造が露わになります。
これは、「服とは何か?」 という根本的な問いを投げかけるもので、服の完成形が必ずしも美であるとは限らないという視点を提示しています。
また「解体再構築」では、既存の服を解体し組み合わせ、新たな服を生み出す「アーティザナル」ラインが有名です。
通常、「解体再構築」はファッションデザインにおける技法の一つにすぎませんが、それを使って脱構築的なアプローチをおこなうのはマルジェラが得意とするところです。
ソックスを解体した「解体再構築」のセーター 引用pinterest
通常ニットセーターとしては着用しない『靴下』を解体してセーターに仕立てるなど、既存の服を分解し、異なる文脈で再構築する試みとして解体再構築の技法を使っていました。
これにより、ファッションの枠組みが解体され、固定された価値観が揺さぶられるのがマルタン・マルジェラの脱構築の特徴です。
コムデギャルソンの「ボディの歪み・着る彫刻」
川久保玲 引用fd-persoonlijk
川久保玲(Comme des Garçons)のデザインは、人体のシルエットそのものを変化させる「着る彫刻」とも呼ばれることが多くあります。
特に代表的なのが1997年秋冬コレクション「Body Meets Dress, Dress Meets Body」で、服の内部にパッドを入れることで、人体が歪んだようなシルエットを生み出しました。
「Body Meets Dress, Dress Meets Body」 引用moma
通常の服は体のラインを美しく見せるために設計されますが、川久保は逆に「体の自然な形とは何か?」という疑問を投げかけ、ともすると醜くも見えるような、不自然なコブのついたシルエットを構築しました。
これは、ファッションにおける「美」の固定観念を解体し、異なる価値観を提示する試みとして、発表した当初はファッション業界を大きく混乱させました。
この“こぶドレス”以外にも、布を意図的にねじったり、ずらしたりすることで、服の「本来の形」を揺るがせ、視覚的な違和感を生み出す脱構築的な発想のデザインは、川久保玲の得意とするところです。
その後の脱構築について
マルタン・マルジェラと川久保玲がおこなった衝撃的な脱構築の提示のあと、その時におこなわれた脱構築的なアプローチは手法として一般的になっていき、形骸化していきました。(インサイドアウト、解体再構築、体を歪ませるシルエット…など)
『脱構築』という意味でいえば、形骸化してしまったそれに対してはもはや脱構築という言葉は意味を為さず、『脱構築風デザイン』という枠組みに留まるものになっているといえるでしょう。
しかしその後も新たな形で既存のファッションの枠組みに問いを投げかける脱構築的アプローチは、様々なブランドに見られる事となります。
例えば2000年代、フセイン・チャラヤンはテクノロジーを駆使した変形する服などを展開。
これは「服の形(素材)とは何か?」という問いともいえますが、「未来の服」のビジョンを示すアプローチが強いという一面もあります。
Hussein Chalayan 2007SS「自動で動くドレス」 引用pinterest
2010年代、ジョナサン・アンダーソンはメンズ服にフリルなどのフェミニンな要素を持ち込み、ジェンダーの境目を曖昧にするアプローチをおこないました。
これはデリダの二項対立への問いでいえば「男女の境目を問う」という脱構築的な側面を持っているといえます。
その一方で、デザインへのデザイナーの嗜好的な側面もあるといえるでしょう。
J.W. ANDERSON 2013AW「メンズコレクションのフリル」 引用fashionsnap
また2020年代、デムナ・ヴァザリアはバレンシアガで「ハイファッションとストリートの境界線」を曖昧にし、「ダサいもの=高級」「ボロボロの靴=ラグジュアリー」という価値観の転覆を図りました。
Balenciaga 2022年「激しいダメージ加工のスニーカー」 引用hypebeast
しかしこれもまた、「ラグジュアリーは必ずしも洗練されたものなのか?」という脱構築的な問いの意味合いも持ちつつ、マーケティング的な側面や、「このデザインでもラグジュアリーブランドなら喜んで買うのか?」というアイロニー(皮肉)の側面が強いものといえます。
このように、現代でも脱構築的なアプローチは様々なブランドが違った形でおこなっていますが、マルジェラや川久保玲が大胆にファッションへの問いを立てた時代よりは、マーケティング的な側面などを考慮しながら脱構築的なアプローチをおこなっているブランドが多い印象です。
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ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
今回は、分かっているようでなかなか難しく感じていた『脱構築』についてお話してきました。
かなり省略して説明した部分もあったので、気になる方はデリダの脱構築について調べてみてくださいね。
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