パンクってどんなファッション?|文化と歴史

こんにちは。ブランド古着のKLDです。

70年代に生まれ、現在まで格好いいスタイルの一つとして親しまれているファッションジャンル、パンク。

中でも『ロンドンパンク』のスタイルは日本でも古くからバンドマンに愛され、90年代には原宿を中心とした一部で流行しました。

今回は、そんなパンクファッションについて、その歴史も併せてお話していきたいと思います。

動画も2本ありますのでこちらもどうぞ

パンクの歴史について

より深く掘り下げた『パンクファッション』について

パンクとは?


Sex Pistols ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)引用whynow

パンクとは、1970年代初頭に誕生した音楽ジャンルで、初期のルーツはニューヨークにあり、それを受けてロンドンでパンクが隆盛したと言われています。

音楽的には、シンプルで短い曲構成、歪んだギターサウンド、速いテンポ、反骨精神溢れる暴力的な歌詞などが特徴。

70年代、当時の音楽シーンではハードロックやプログレッシヴロックなど、高価な機材やテクニックに重きを置いたジャンルが人気を博しており、そんな音楽シーンに嫌気がさした若者たちが中心となり、パンクが生まれたといわれています。

ロックンロールの初期衝動を取り戻しつつ、商業主義に傾斜したメインストリームの音楽業界に対する反発として、シンプルな3コードの楽曲や、怒りや個人的な内省を表現した歌詞で楽曲を表現しています。

アメリカでは、ニューヨークの『CBGB』というクラブを中心に活動したラモーンズやパティ・スミス、トーキング・ヘッズが先駆者として知られています。


パティ・スミス 引用oricon

一方、イギリスでは、経済不況や社会的不安を背景に、パンクはさらに過激で反体制的なムーブメントとして進化しました。
この流れを牽引したのが、セックス・ピストルズやクラッシュといったバンドです。


ザ・クラッシュ 引用artrockstore

パンクは音楽だけでなく、ファッションやアートにも影響を与え、若者たちが自分たちのアイデンティティを表現する手段として定着しました。

ニューヨークパンクとロンドンパンクの違い

ニューヨーク、ロンドンでそれぞれにパンクバンドが進化していった事は上述のとおりですが、ここで少しだけ両者の違いについてお話していきます。

ニューヨークパンク


シンプルなジーンズと革ジャンスタイルのRamones 引用musicair

ニューヨークパンクは、1970年代初頭にCBGBを拠点に形成された音楽シーンから生まれました。

CBGBは悪名高いモーターサイクル・ギャング『ヘルズ・エンジェルズ』の溜まり場になっていたバーからスタートしたクラブ。
黎明期にはPatti Smith、Ramones、Television、Talking Headsなど、錚々たるバンドやアーティストが誕生しています。

音楽スタイルとしてはシンプルかつミニマルで、リズムはタイトなものが主流でしたが、多様性に富んでいるのがニューヨークパンクの特徴でもあります。

歌詞は主に個人の感情や日常生活の疎外感を表現し、反体制的な姿勢よりも自己表現に重点を置いているものが多くあります。
代表的なバンドであるRamonesは速いテンポの曲とキャッチーなメロディで知られ、Patti Smithは詩的で知的なアプローチを音楽に取り入れました。

ニューヨークパンクは、アートシーンとも密接に結びついており、音楽はファッションやビジュアルアートと相互に影響を与えました。
芸術的かつ自由な表現を持つニューヨークパンクは、都市特有の文化的多様性が形作ったものといえます。

70年代に生まれたニューヨークパンクは、80年代以降、より激しさを増すハードコアパンクへの進化や、よりアート性を増す『ノーウェーブ』ムーブメントといった多様性のある進化をしていくことになります。

ロンドンパンク


ヴィヴィアンプロデュースの元、派手めなスタイルが特徴のSex Pistols 引用pinterest

ロンドンパンクは、1970年代中盤にイギリスの経済不況や政治的混乱を背景に発展しました。
その音楽スタイルは攻撃的で、過激な歌詞と破壊的なパフォーマンスなどが特徴。

当時の代表的なバンドといえば、Sex Pistols、The Clash、The Damned、Buzzcocksなど、こちらも錚々たるメンツとなっています。

ロンドンパンクのバンドは、若者のフラストレーションや体制への怒りを直接的に表現し、政治的メッセージを前面に押し出しました。

“怒り”の表現の強さは一つの特徴で、ライブで楽器などを破壊するパフォーマンスや、自らの体を傷つけるような自傷的なパフォーマンスなど、バンド側からの破壊行動に煽られてライブハウス全体が暴動のようになることもしばしばだったようです。

Sex Pistolsは、このムーブメントの象徴的存在であり、彼らの楽曲「God Save the Queen」は、「女王陛下万歳!」という皮肉に満ちたフレーズが繰り返されるセンセーショナルな曲で、世界的に注目を集めました。

The Clashは、初期はパンクバンドそのものの荒々しい音楽性、反体制的な歌詞を展開していましたが、次第にパンク精神を継承しながらレゲエやロックの要素を取り入れた多様な音楽性を展開していきます。

70年に最盛期を迎えたロンドンパンクはその後、80年代にはより内省的な世界観を描くポストパンクやニューウェーブ、ゴスに進化したり、その反骨精神や音楽性をオイ・パンクへ継承したり、こちらも多様性のある進化をしていきます。

パンクファッションとは?

前述のように、パンクという音楽ジャンルが隆盛すると共に、ファッションとしてもパンクスタイルは盛り上がりを見せます。

当時はパンクバンドのメンバーやそのグルーピーを中心に広がっていたパンクスタイルですが、現在はその限りではなく、様々なブランドがパンクファッションを取り入れたり、パンクを聴かない人がそのファッションを楽しんでいたりします。(当然、そこには賛否両論もありますが…)

ここでは、主にロンドンパンクを中心としたファッションの特徴をお話していきます。

ロンドンパンクファッションの始まり


マルコム・マクラーレン、ヴィヴィアン・ウエストウッド 引用therakejapan

現在、日本で『パンクファッション』と呼ばれているものの起源は、1970年代半ばのロンドンに遡ります。

このスタイルの仕掛け人は、デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドと、そのパートナーでありSex Pistolsのマネージャーでもあったマルコム・マクラーレンです。

この二人が運営していたロンドンのブティック「SEX」から、多くのパンクファッションのアイコンが生まれました。


当時の『SEX』 引用pinterest

ヴィヴィアンとマルコムが活動を始めた1970年代のイギリスは、深刻な経済不況と失業率の増加、社会的不満が渦巻く時代。
若者たちは将来への希望を見出せず、既存の体制や価値観に対する不信感が広がっていました。

そんな中、当時ニューヨークで『ニューヨーク・ドールズ』というバンドをプロデュースしていたマルコム・マクラーレンは、CBGB周辺の文化に影響を受け、75年にロンドンに舞い戻ります。

その後、彼らの店である『SEX』にたむろしていた若者に声をかけ、Sex Pistolsを結成。

ファッションはもちろん、プロモーションやマーケティング戦略まで、主にマルコム・マクラーレンのプロデュースの元でSex Pistolsが作られたと言われています。


Sex Pistols 引用skanda

また、ヴィヴィアン・ウエストウッドの作った過激で挑発的なデザインが、バンドのアイコンとして大きく機能しました。
Sex Pistolsのメンバーが身につけるアイテムには、社会や政治に対するメッセージが込められており、安全ピンや破れた布地、挑発的なスローガンが散りばめられました。

マルコム・マクラーレンの思惑通り、バンドは大ヒットし、ヴィヴィアンのデザインしたSex Pistolsの衣装はそのままロンドンパンクの象徴となっていきました。

既存の価値観に囚われず、自由であること、そして社会的な疎外感を共有する仲間たちと新たなアイデンティティを築くことを目指し、それがそのままファッションでも表現されたのが、ロンドンパンクのスタイルだったといえます。

基本的なスタイルとDIY精神


引用esquire

カスタムした派手な革ジャンにイギリスらしいタータンチェックのボンテージパンツ、破れたガーゼのプリントカットソーを安全ピンで留めて髪の毛は逆立てる…というようなスタイルが基本的なロンドンパンクの形式といえます。

また、当時ロンドンのブルーカラーの間で愛用されていたドクターマーチンや、1950年代のテディー・ボーイ文化から愛されていたジョージコックスのラバーソールなどもロンドンパンクを象徴するアイテムです。


GEORGE COX/クリーパー 引用betterdays-shop

先述のとおり、このスタイルを最初に提唱したのはロンドンパンクムーブメントの仕掛け人、マルコム・マクラーレンと恋人のヴィヴィアン・ウエストウッドでした。

しかしロンドンパンク周辺の若者はそのスタイルを見て、自分で革ジャンにスタッズを打つ、好きなバンドのパッチを貼る…などのカスタムをしたり、Tシャツやカットソーをハサミで切って安全ピンで留めたり…など、DIYで自分たちの表現をおこないました。

全盛期の70年代のロンドンでは若者の失業率が高く、ファッションにお金を使えるほど裕福では無い若者たちが、古着や手持ちの服にカスタムを施し、独自のスタイルを築いたというのもロンドンパンクの一つの側面です。

90年代、日本でも原宿などの一部でパンクスタイルの若者が増えた際、古着や手持ちの服にDIYでのカスタムをしている人は多く、格好いいパンクスほど「他人と被りたくない」というパンク的な価値観を継承し、独自のスタイルに昇華している印象が強くありました。


99年/日本の若者(ケラ!ストリートスナップより) 引用pinterest

現在はパンク的な表層を取り入れたブランドなども多く、お金を出して「DIY的なファッション」を購入することも出来ますが、やはりパンクのスタイルにはDIY精神が深く根付いているといえます。

ニューヨークのパンクファッション


Television(1976年) 引用ameblo

ここで、少しだけニューヨークのパンクファッションについても触れたいと思います。

結論からいうとニューヨークのパンクスタイルには、ロンドンパンクよりも象徴的なスタイルというものが存在していませんでした。

ニューヨークのパンクファッションは、ロンドンに比べるとシンプルかつ実用的で、ラモーンズが着用していたレザージャケットやスキニージーンズ、コンバースのスニーカーなどは、ニューヨークのストリートカルチャーを象徴するスタイルとして、パンクス意外の若者にも親しまれているものでした。


ラモーンズ 引用nme-jp

髪型なども、しっかりと逆立てたロンドンパンクのスタイルとは真逆で、ボサボサの無造作なヘアスタイルが主流。
「手間をかけない」という無骨な精神性が感じられるパンクスが多かったといえます。(ビールで髪を逆立てていたリチャード・ヘルのようなパターンもありますが…)


ビールで髪を逆立てていたリチャード・ヘル氏 引用pinterest

パンクという文化からファッションが発信されたというよりは、ニューヨークの若者の日常的な服を着たまま、パンクバンドがステージに立っていたという形ではないかと思います。

意図的に作り上げられたスタイルではありませんが、パンクバンドの隆盛と共に、ニューヨークパンク的なスタイルが後から確立され、愛されているというのが現在の形なのではないでしょうか。

パンクファッションを取り入れたブランド

ここでは、パンクスタイルを取り入れたブランドをご紹介していきます。

Vivienne Westwood


1994SSコレクションの終わりに 引用vogue

言わずと知れたロンドンパンクの女王、ヴィヴィアン・ウエストウッドの手掛けていたブランド。

Sex Pistolsを作り上げた当初は、鋲付きのアクセサリーや挑発的なデザイン、安全ピンモチーフのアイテムなど、反骨精神を表したスタイルを打ち出しましたが、ブランドとしてはそれだけにとどまらず、実に多彩な表現をしているブランドです。

胸元に大きなハート型の襟をつけた通称『ラブジャケット』や、木製の特徴的なソールを持つシューズである『ロッキンホースバレリーナ』、ブランドを象徴するオーブのマークなどは、パンク文化を知らない人でも一度は見たことがあるのではないかというくらい有名です。


ラブジャケット 引用dollar


ロッキンホースバレリーナ 引用viviennewestwood

毎シーズン展開されるコレクションでもインパクトの強い名作をたびたび生み出しており、海賊の衣装からインスピレーションを受けた『Pirate Collection』や、19世紀の女性の下着「クリノリン」をアレンジした『Mini-Crini』など、ファッション史に残るコレクションとして現在でも高く評価されています。


1981AW「Pirate」 引用pinterest

ヴィヴィアンのデザインには常にパンク精神があり、2022年に本人が亡くなった後も、夫であるアンドレアス・クロンターラー氏がその精神を受け継いでブランドのディレクションをおこなっています。

Undercover


2003SS「SCAB」より 引用firstview

1990年に裏原宿文化の中で生まれ、今や世界的に有名なブランドとなっているUndercoverも、パンクスタイルと深い関わりがあるブランドです。

「WE MAKE NOISE NOT CLOTHES」(私たちは服を作るのではなく、ノイズを作る)というテーマを掲げ、ファッションをただファッションとして表現するだけではなく、文化や思想を反映した表現をすることで知られています。

実際にデザイナーの高橋盾さんは、パンクなどの音楽や、アンダーグラウンドの文化に非常に影響を受けており、社会への反骨精神を服のデザインを通じて表現。

特にブランドの初期からタータンチェック柄のボンテージパンツを展開するなど、ヴィヴィアン・ウエストウッドの作ったスタイルへのリスペクトを強く持っています。


2003SS「SCAB」より 引用firstview

2003年春夏の「SCAB(瘡蓋)」というシーズンなどは、手作業で細かく引き裂いたパンツや細かいパッチワークなど、パンクの根源であるDIY精神と、独特のヒリヒリ感が感じられるものになっており、Undercoverの持つパンク精神を昇華した優れたコレクションとして知られています。

Comme des Garçons


「黒の衝撃」と呼ばれた時期のルック 引用cultjones

パンクのスタイルを踏襲したというよりは、現代の日本における紛れも無い「パンクブランド」として挙げたいのがComme des Garçonsです。

80年代初頭、「黒の衝撃」といわれるブラックのコレクションで煌びやかなパリのモード界に殴り込みをかけた事をはじめとして、世間への怒りや反骨精神を軸に、誰にも思い付かないような斬新なデザインを発表し続ける姿勢はパンクそのものといえます。

シーズンによって様々なデザインを展開していることは前提としてありますが、パンクスタイルをモチーフにしたものはたびたび登場しており、2001年秋冬シーズンでは、ヴィヴィアン・ウエストウッドが提案したロンドンパンクのスタイルにかなり接近したコレクションを展開していました。


2001SSコレクションより 引用firstview

その他にも2005年春夏では「パンクバレリーナ」、2016年秋冬コレクションでは「18世紀のパンク」をテーマにするなど、Comme des Garçonsにとってパンクというテーマは切っても切れないものとなっています。

ここまで読んでくださった方へ

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

様々に形を変えながら、現在も愛されるパンクスタイル。
服装だけではなく、音楽や背景にある文化なども知った上でコーディネートに取り入れるとファッションに深みが出るのではないでしょうか。

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