
引用vogue
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
フェンディでの経験を経てヴァレンティノに加わり、アクセサリーからオートクチュールまでブランドの進化を牽引した、ピエールパオロ・ピッチョーリ。
独自の色彩感覚やエレガントな美的センス、革新的なビジョンなど、ファッション界において優れた才能を持つデザイナーです。
今回は、
- ピエールパオロ・ピッチョーリとは
- 生い立ちとキャリア
- ピエールパオロ・ピッチョーリを形作るもの
という形でお話していきます。
名実ともに世界を代表するデザイナーだといえるピエールパオロ・ピッチョーリの、これまでの歩みと人物像に迫ります。
目次
ピエールパオロ・ピッチョーリとは
引用vogue
ピエールパオロ・ピッチョーリは1967年、イタリア・ローマ生まれのファッションデザイナーです。
長年ヴァレンティノのクリエイティブ・ディレクターを務め、ダイナミックな色使いやみずみずしいフラワープリント、幻想的なフェザーワークなど、アーティスティックな表現力を得意としている人物です。
これまで、伝統的なオートクチュールに革新を加えたエレガントなコレクションを発表し、高い評価を得ています。
代表作には「ロックスタッズ」や「ピンクPP」コレクションがあります。
2025年7月にはバレンシアガの新クリエイティブ・ディレクターに就任。
ベテランデザイナーとしての確かな実力と独自の美学を新たな舞台でどのように繰り広げるのか、世界中から注目されています。
生い立ちとキャリア
ここからは、彼の生い立ちや経歴についてお話します。
多様な芸術に触れた幼少期
ネットゥーノ 引用wikipedia
ピエールパオロ・ピッチョーリは1967年8月29日、イタリア・ローマで生まれ、首都近郊の海辺の町ネットゥーノで育ちました。
家族にファッションや芸術に関わっている者はいませんでしたが、母親が熱心な読書家であったため、家には常に本があふれていたそう。
そのためピッチョーリは、母親の影響で幼い頃から文学に親しみがありました。
詩や神話、哲学にも興味を示し、やがて映画や絵画などの芸術にも触れるようになっていきます。
そして少年時代の彼は、物語を紡ぎ、イメージを形にすることに強い関心を持ち、次第に映画監督に憧れるようになります。
幼少期から培われた豊かな感性や知的好奇心が、ピッチョーリ独自の美学の基盤となり、後のクリエイションに大きな影響を与えました。
実践で技術力を磨いた学生時代
ピッチョーリは高校卒業後、イタリアのローマ・ラ・サピエンツァ大学で文学を専攻。
映画や物語などの幼少期からの興味は変わらず、当初はファッションとは異なる道を歩むつもりでした。
ヨーロッパ・デザイン学院(通称IED)引用gogofirenze
しかし、自身の創造性を表現する手段としてファッションに惹かれるようになった彼は、19歳の時に大学で勉強しながら、ヨーロッパ・デザイン学院にも通うように。
本格的にファッションの道へ舵を切ったのです。
学院ではデザイン画やスケッチを通じてアイデアを視覚的に表現する力を養い、物語性を重視する作風の基礎を築きました。
また学生時代は、Brunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)でインターンシップも経験。
Brunello Cucinelliの創業者でデザイナーのブルネロ・クチネリ氏 引用medium
ブルネロ・クチネリでは、パリで生地を調達することからフィッティング、広告キャンペーンまで、すべての工程を学びました。
ちなみに、一般的にインターンシップは無給が多い中、ピッチョーリは有給を要求し、会社を驚かせたというエピソードもあります。
「この情熱を仕事にできることを示すことが、私にとって重要だったんです」と語るように、彼は当時まだ学生でありながらも、“仕事”という意識を持ってインターンに臨んでいたことがわかります。
こうした学生時代の経験が独自の感性と哲学の基盤を形成し、後のフェンディやヴァレンティノでのクリエイティブな軌跡の出発点となりました。
フェンディでキャリアスタート
1990年、ピエールパオロ・ピッチョーリは、ヨーロッパ・デザイン学院を卒業後、イタリアの老舗ブランド「FENDI(フェンディ)」に入社。
フェンディではアクセサリー部門に配属され、約10年間、バッグやレザーグッズを中心としたデザインを担当することに。
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FENDI1998AWコレクションより引用firstview
カール・ラガーフェルドのもとで、素材選び、実用性、ブランドアイデンティティとの調和など、現場での仕事を徹底的に叩き込みました。
ピッチョーリは、伝統的なイタリアのクラフツマンシップと、現代的な感覚を融合しつつ、芸術的な新たな表現を追求し、部門の発展に大きく貢献しました。
この経験を通じて、「実用性と美しさ」「伝統と革新」を両立させるデザイン力を磨き上げたのです。
マリア・グラツィア・キウリ 引用wwdjapan
またこの時期、後にデザインを共に手掛けるパートナーとなる、マリア・グラツィア・キウリと出会ったことも大きな転機でした。
フェンディでのキャリアは、ピッチョーリにとってデザイナーとしての土台を築くとともに、後のヴァレンティノでの飛躍につながる重要なステップとなりました。
ヴァレンティノへの移籍とアクセサリー部門の刷新
1999年、ピッチョーリは、フェンディでの実績が評価され、同僚のマリア・グラツィア・キウリとともに「VALENTINO(ヴァレンティノ)」へ移籍。
ヴァレンティノ1999AWオートクチュールコレクションより引用i-d
当時のヴァレンティノは、オートクチュールやプレタポルテがブランドの主軸で、アクセサリー部門は充分に発展していませんでした。
ピッチョーリとキウリは、そのアクセサリー部門の強化と刷新を担うキーパーソンとして起用されたのです。
二人は、バッグやシューズなどを現代の感性を取り入れながら再定義しました。
伝統的なエレガンスやクラフツマンシップを大切にしつつ、独自の美意識と実用性、そして遊び心を融合させた新たなデザインを展開。
2000年代のヴァレンティノの広告 引用fetch-the-paper
その結果、アクセサリーは単なる付属品にとどまらず、ヴァレンティノを象徴する存在へと進化し、ブランドイメージの刷新に大きく貢献したのです。
若年層やグローバル市場にも訴求し、ヴァレンティノの新たな成長エンジンとして大きな役割も果たしました。
この頃のピッチョーリは、素材やディテールへの徹底したこだわりと、伝統を尊重しつつも現代的なエッセンスを加える柔軟な発想力に、さらに磨き上げられていた時期だといえます。
ヴァレンティノの共同クリエイティブ・ディレクターに就任
二人によるヴァレンティノのデビューシーズン、2009SSオートクチュールコレクションより引用firstview
そして2008年、ピッチョーリはマリア・グラツィア・キウリとともに、ヴァレンティノの共同クリエイティブ・ディレクターに就任。
アクセサリー部門の刷新で高い評価を得た二人は、ブランド全体のクリエイティブを統括するポジションに抜擢されたのです。
ピッチョーリとキウリの伝統と革新を調和させる高いセンスは、ヴァレンティノに新たな時代をもたらすことに。
オートクチュール部門では、伝統的なクチュール美学を尊重しつつ、現代的なロマンティシズムや物語性あふれる精神を鮮やかに表現しました。
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2009SSオートクチュールコレクションより引用firstview
その特徴は、繊細なレースや刺繍、透け感のある素材、柔らかな色調、流れるようなシルエットなどを用いた、女性らしさとエレガンスの再解釈にあります。
プレタポルテやアクセサリーの分野でも個性豊かなシグネチャーアイテムを次々に発表し、ブランドの世界観を多面的に広げていきました。
また、2010AWコレクションで発表された「ロックスタッズ」は、ピラミッド型スタッズをバッグやシューズに落とし込み、これまでのヴァレンティノになかった斬新さとハードな印象を与え、瞬く間に人気となりました。
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これにより、若年層や国際的なファン層の拡大にもつながったのです。
クラフツマンシップへの深い敬意を払いながらも、時代の変化に柔軟に応じるピッチョーリとキウリのクリエイションは、ブランドの国際的な存在感を大きく押し上げました。
ヴァレンティノの指揮を単独で執ることに
「ヴァレンティノ第二の黄金期」と呼ぶにふさわしい時代を作り上げたピッチョーリとキウリ。
しかし、2016年にキウリがディオールに移籍することになったため、2016AWオートクチュールコレクションを最後にコンビでの活動が終了しました。
そして、ピッチョーリが単独でヴァレンティノの指揮を執ることに。
新体制のもと、彼は自身の詩的な感性と時代を読む発想力を、より自由に表現できるようになり、ブランドの個性を一層際立たせていきます。
この時期のコレクションは、新鮮なアプローチやビジネス的な側面などにおいて大胆な挑戦を重ねています。
2017SSコレクションでは、人気シリーズ「ロックスタッズ」を、より洗練されたデザインへと昇華させ、モダンでエレガントなブランドの方向性を強調しました。
2018SSメンズコレクションでは、従来からブランドを象徴してきた「V」ロゴを現代風にアレンジした「VLTN」ロゴを発表。
「VALENTINO」を省略したシンプルなロゴは、ブランドの存在感や新しさを打ち出し、ブランドイメージのアップデートと新規顧客の獲得に成功しました。
また、特に注目を集めたコレクションとしては、2022AWの「ピンクPP」が有名でしょう。
引用vogue
ピンク一色で統一されたショーは強烈なビジュアルインパクトを放ち、ヴァレンティノの革新性を象徴する出来事となりました。
さらに、年齢・人種・体型を問わない多様なモデルを積極的に起用し、ファッションを通じて従来の美の基準に問いを投げかける姿勢も印象的でした。
オートクチュールにおいても新たな価値観を反映し、ヴァレンティノは現代を象徴するオートクチュールブランドとしても確固たる地位を築きました。
このようにヴァレンティノをより進化させたことにより、彼は国際的にも高く評価され、2018年と2022年には「デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
そして2024年、ピッチョーリは、25年にわたり深い愛情を注ぎ、挑戦し続けてきた「ヴァレンティノ」という舞台から退きました。
バレンシアガのクリエイティブ・ディレクターに就任
2025年7月、ピエールパオロ・ピッチョーリが「BALENCIAGA(バレンシアガ)」の新クリエイティブ・ディレクターに就任。
ピッチョーリは公式コメントで、ブランドの歴史やスタッフへの深い敬意を表し、「バレンシアガが今日あるのは、これまで道を切り拓いてきたすべての人々のおかげです」と述べています。
さらに、「進化と変化を遂げながらも美意識を見失わなかったバレンシアガを受け継ぐことは、可能性に満ちた魅力的な挑戦」といったことも語っています。
伝統と革新への強い意欲と、独自のエレガントな表現力は、バレンシアガで新たな形として昇華されることでしょう。
ピエールパオロ・ピッチョーリを形作るもの
ヴァレンティノの復活を牽引し、その才能が世界に輝きを放ったピエールパオロ・ピッチョーリ。
ここからは、彼を形作るものについてお話します。
多岐に渡るインスピレーション
ピエールパオロ・ピッチョーリを形作る特徴の一つに、クラシックと現代を自在に行き来する多彩なインスピレーションが挙げられます。
ヒエロニムス・ボスの代表作『快楽の園』 引用wikipedia
ヒエロニムス・ボスやマリアノ・フォルチュニといった芸術家に影響を受け、歴史や神話から詩的な世界観を汲み取る一方、Netflixドラマ『The Get Down』やヒップホップといった現代のポップカルチャーにも強い関心を寄せています。
70年代後半のNYで若者が新たな音楽カルチャーで世界を変えようとする作品『The Get Down』 引用theatlantic
このような時代や文化が異なるインスピレーションをもとに、彼は伝統を現代的に再解釈し、作品に新たな多様性をもたらしているのです。
映画への強い情熱
ピッチョーリは、かつて映画監督を志したほど映画に強い情熱を持っています。
彼は服を「沈黙の言語」と捉え、物語や感情、哲学的なメッセージを伝える手段としてファッションを用いています。
思想や理想を服そのものに込め、映像を映し出すかのように、見る者に静かに語りかけるような表現を追求しているのです。
第72回カンヌ国際映画祭で初上映された『The Staggering Girls』 引用theriver
また2019年には、映画監督ルカ・グァダニーノと共同で短編映画『The Staggering Girls』を制作。ジュリアン・ムーアらが出演したこの作品は、ピッチョーリの映画への深い愛情と独自の表現力を象徴するものとなりました。
このように彼のクリエイションには、映画の物語性や感情の機微が宿り、映画という芸術への敬意が反映されています。
包容力ある自由な性格
2017年に東京に訪れた際のピッチョーリ 引用spur.hpplus.jp
ピッチョーリの性格に関しては、温かく親しみやすい人柄と、活き活きとした自由な精神を併せ持っているのが特徴です。
自身を「若く自由で夢に満ちている」と語り、年齢や立場に縛られず、常に新たな可能性を追求する姿が印象的です。
変化や多様性を受け入れる柔軟な人間性は、自然と作品にも表れ、繊細で温かみのあるデザインとして昇華されるのです。
また、ピッチョーリは「愛、夢、美、そして人間らしさの遺産」を大切にし、それを共有することに喜びを見いだしています。
ヴァレンティノのアトリエにて 引用instagram@pppiccioli
モデルたちと 引用instagram@pppiccioli
彼は、職人やスタッフ、モデルなど様々な関係者に敬意を払いながらも、密接に協力して成果を生み出しています。
この自由で温かな人柄が、幅広い層から支持を集める大きな要因となっているのかもしれません。
穏やかな環境で育む家族の絆
家族と 引用instagram@pppiccioli
ピッチョーリにとって、人生で最も大切なのは家族、とくに妻や子どもたちとの絆です。
そのため彼は、家族との時間を大切にできる環境を求め、都会の喧騒を離れたローマ郊外の静かな町であり、自身の生まれ故郷でもあるネットゥーノに長く暮らしています。(現在はバレンシアガへの移籍に伴い、パリに移住する予定)
ネットゥーノにある自宅のテラスでくつろぐピッチョーリ 引用vogue
家族との絆や穏やかな日常は、自身のクリエイションや人生観においても、とても大きな支えになっているそうです。
何気ない日々の会話や家庭での経験が、ピッチョーリの柔らかい表現力と、温かな人柄の土台となっているといえます。
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ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
約25年もの間ヴァレンティノを率い、成長を後押ししたピエールパオロ・ピッチョーリ。
彼が生み出すロマンティックで美しい、それでいて自由なデザインは、これからも多くの人々の心を動かしてくれるでしょう。
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