
引用thecut
こんにちは。ブランド古着のKLDです。
マックイーンの右腕として活躍した後、ブランドのクリエイティブ・ディレクターを13年間務めた実力派デザイナー、サラ・バートン。
2024年からはジバンシィを担う存在として、卓越した技術と独自の感性を発揮しています。
今回は、
- サラ・バートンとは
- 生い立ちとキャリア
- 輝かしい功績
- サラ・バートンを形作るもの
という形でお話していきます。
控えめで、メディアと距離を置き、寡黙に作品と向き合うサラ・バートンの人物像を紐解きます。
サラ・バートンとは
引用wwdjapan
サラ・バートンは、1974年に生まれたイギリス出身のファッションデザイナーです。
アレキサンダー・マックイーンで約13年間クリエイティブディレクターを務め、ブランドのDNAを守りつつ独自の美学を築き上げてきました。
彼女のクリエイションは、伝統と革新のバランス、構築的な美しさ、そして現代性の融合が際立っているのが特徴です。
また、イギリス王室のキャサリン妃のウェディングドレスを手掛けたことでも知られています。
2024年9月には、ジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに就任。
マックイーンで培った美学や技術は、今後さまざまな作品に融合していくことでしょう。
生い立ちとキャリア
ここからは、彼女の生い立ちや経歴についてお話します。
服への興味が芽生えた幼少期
1974年、イギリス・マンチェスター近郊のマックルズフィールドで、5人兄弟の次女として誕生したサラ・バートン。
父親は会計士、母親は音楽教師で、家庭では父親の「知識は誰にも奪われない」という考えのもとで育てられました。
週末になると、父親が兄弟姉妹と一緒によくマンチェスター美術館に連れて行ってくれたそう。
マンチェスター美術館 引用wikipedia
バートンは、そこでラファエル前派の絵画を熱心に鑑賞していたことを記憶しています。
また、幼少期から洋服やドレスを描くことが大好きだったそうです。
子どもながらに色々な服を着飾ることも好きだったらしく、よく兄のお下がりの服を着ていたというエピソードも。
後にバートンは、「兄のお下がりばかり着ていた。だからこそ美しい服に憧れたのです」と振り返っています。
幼い頃からヴォーグを買ってもらい、初期のカルバン・クラインやファッション写真家のリチャード・アヴェドンなどの写真を切り取り、寝室の壁に貼っていたという話もあります。
彼女の兄弟姉妹の具体的なエピソードは、ほとんど公にされていませんが、兄の1人はプロのオーボエ奏者、姉の1人はオペラ歌手であることから、芸術的な教育に対しても、一定の理解や支援があった家庭で育ったことがわかるでしょう。
ファッションの道へ背中を押した女子校時代
ウィジントン女子校 引用wgs.org
バートンは8歳になると、マンチェスターの名門学校「ウィジントン女子校(Withington Girls’ School)」に入学。
ウィジントンは学業において、常にイギリス国内トップクラスの学校の一つにランクされている高偏差値の進学校です。
当時のバートンの成績は全般的に優秀で、特に英語、歴史、美術が秀でていたとのこと。
オックスフォード大学かケンブリッジ大学を目指す生徒が多い中、同学年で美術のAレベルを取っているのはバートンだけだったそう。
10代の彼女は、アートやファッションへの興味が一層強まり、自分で服を作ることも好きになっていました。
進路を考える時期になると、学校からオックスフォード大学(ラスキン美術学校)でファインアートを学ぶ道を打診されたバートン。
しかし、彼女の創造性の才能を認めていた美術教師が、「あなたはセントラル・セント・マーチンズに行くべきだ」と強く背中を押してくれたそう。
厳格な進学校なだけに、芸術やファッション関連の進路を選ぶ生徒はそれほど多くはなかったはず。
バートン自身も美術教師からセント・マーチンズの話を聞くまで、ファッション学校への進学は考えていなかったらしく、後に「美術教師が強く勧めてくれたことが大きかった」と述べています。
実践的なスキルを磨いた学生時代
1993年にウィジントン女子校を卒業したバートンは、セントラル・セント・マーチンズに入学する準備として、マンチェスター・ポリテクニック(現マンチェスター・メトロポリタン大学)で基礎的な美術を1年間学びます。
その後1995年にセントラル・セント・マーチンズへ進学し、ファッションデザインやプリント分野を専攻。
セントラル・セント・マーチンズ 引用wikipedia
在学中は、非常にクリエイティブで競争の激しい環境の中、自分のビジョンを追求しながら学び、業界で活躍するための実践的なスキルを磨いていきました。
当時のテキスタイルプリントの講師は、「彼女は他の学生ほどクールに振る舞っていたようには見えなかった。」「彼女がジーンズと白いTシャツでやって来て、誰かのプロジェクトを最高のものにしようと、ひたすら努力していたのを覚えています」と、学生時代のバートンについて語っています。
また、「プリント生地にどんな薬品が配合されているのか?」という、ほとんどの学生が気にしないような、細かな所まで正確に知ろうとしていた研究熱心な姿も印象的だったそう。
当時のバートンは、「あそこにいる人たちは、派手な人が多かった。私は彼らとは違う。私は本当に普通。」と思っていたそうです。
これらのエピソードから、学生時代から真面目で気取らない性格だったのでしょう。
アレキサンダー・マックイーンでインターンを経験
サラ・バートンがデザイナーになった起点は、アレキサンダー・マックイーンでインターンを始めたことにあります。
インターンのきっかけは、セント・マーチンズの講師にバートン自ら「アレキサンダー・マックイーンでのインターンシップに推薦してほしい」と頼んだこと。
紹介を経て初めてマックイーンと会った日、彼が最初に口にした言葉は「UFOを信じますか?」だったそう。
UFOを信じていた彼は、「もちろんです」と答えたバートンに、一週間も経たないうちに型紙を切る作業を任せました。
アレキサンダー・マックイーン1996AW(インターン時代のシーズン)引用firstview
当時のアレキサンダー・マックイーンは、まだそれほど会社も大きくなく、スタッフも少なかったため、バートンは色々な仕事を経験したそうです。
とある日には、ピンで留めたウェディングドレスを家に帰って仕上げるようにと頼まれたことも。
バートンはミシンがあまり得意ではなかったため、パニックになったそうですが、すべて手縫いで仕上げたそうです。
その時、彼女は「パターンカッティング、それがすべてなんだ」と悟ったといいます。
アレキサンダー・マックイーン1997SS(インターン時代のシーズン)引用firstview
他にもバートンは実際に多くの作品を作り、マックイーンの「シャープなテーラリング」「ダークでグラマラスな美学」「職人技への敬意」といったブランドの核となる価値観を徹底的に吸収。
インターンは無給で、両親の援助も受けられなかったため、空いている時間はハロッズでおもちゃを売ったり、アルバイトでバーテンダーをしたりして、忙しい日々を送っていました。
しかし、まだ学生であった彼女にとって、このインターンは、単なるキャリアのスタートではなく、ブランドの価値観やクリエイションの哲学を深く知り、マックイーン本人から直接多くを学ぶ貴重な時間となったでしょう。
この経験が、後のブランド継承や世界的デザイナーとしての活躍の礎となっています。
アレキサンダー・マックイーンでの活躍
サラ・バートンは、セント・マーチンズを卒業後の1997年にアレキサンダー・マックイーンへ正式に入社しました。
入社後は、ファッション界の異端児と呼ばれた創業者リー・アレキサンダー・マックイーン氏のパーソナルアシスタントとして活動。
マックイーンとバートン 引用inmagazine
バートンは、マックイーンの独創的なビジョンやディテールへのこだわりを理解し、彼のアイデアを具体的な形に落とし込む役割を担っていました。
2000年からはウィメンズウェア部門のヘッドデザイナーに抜擢され、マックイーンのクリエイションを支える中心的存在として活躍。
バートンは、マックイーンのクリエイティブなプロセスを最も近くで支え、彼の信頼を得ていた人物であり、ブランドの成長と成功に大きく貢献しました。
マックイーンの後継者としてディレクターに就任
40歳の若さでこの世を去ったマックイーン 引用vogue
2010AWコレクション発表間近の2010年2月、リー・アレキサンダー・マックイーンが急逝。
突然の出来事に、ファッション界全体が混乱と深い悲しみに包まれる中、ブランドとしては前に進まなけばいけない状況にありました。
社内では、ブランドの美学や彼のクリエイティブな精神を最も深く理解するバートンを後任として推薦。
しかし、バートン本人は「その仕事はやりたくなかった」と後に述べています。
才能が偉大な人ほど亡くなった後の遺産は祝福され、そしてそれはますます大きくなっていく…。後任になることへの多大なプレッシャーを感じていたのでしょう。
また彼女は同時期に、別の大手メゾンのクリエイティブ・ディレクターのオファーも受けていたタイミングでした。
大きな決断に悩む中、バートンは悲痛な状況下で去っていくスタッフたちを見て「自分は何ができるの?」と考え、後任を引き受けることを決意。
彼女はディレクター就任後、マックイーンのDNAであるドラマティックな世界観や伝統的なテーラリング、オートクチュール的な技巧を受け継ぎつつ、自身のオリジナリティを加え、ブランドの進化を牽引。
バートンによるファーストコレクション、アレキサンダー・マックイーン2011SS 引用gazeta
バートンによるファーストコレクション、アレキサンダー・マックイーン2011SS
ヴィクトリア朝時代や自然、イギリス各地への旅からインスピレーションを得た詩的で儚いデザイン、パンクのムードを感じさせるものまで多彩に表現しました。
バートンによるファーストコレクション、アレキサンダー・マックイーン2011SS 引用gazeta
そして、2023年10月のコレクションをもって、約13年間も務めたアレキサンダー・マックイーンのクリエイティブ・ディレクターを退任。
バートンの26年間にわたるブランドへの貢献は、消えることのない足跡として存在し続けています。
2024年にジバンシィのクリエイティブディレクターに就任
引用vogue
サラ・バートンは、2024年9月に「ジバンシィ」のクリエイティブディレクターに就任。
ブランドのウィメンズおよびメンズの全コレクションを統括することに。
ジバンシィは2023年末に前任のマシュー・ウィリアムズが退任して以降、クリエイティブ・ディレクター不在が続いていました。
その空席を埋めるにふさわしい人材として、長年アレキサンダー・マックイーンで高い評価を得てきたサラ・バートンが選ばれたのです。
サラ・バートンの恩師であるリー・アレキサンダー・マックイーンも、かつてジバンシィのクリエイティブ・ディレクターを務めていたため、今回の就任はブランドとバートン双方にとって象徴的な意味を持つといえるでしょう。
バートン自身、「ジバンシィの物語に次の章を刻むことができることに興奮している」と語っており、ブランドの伝統と自らのクリエイティブな挑戦が重なる絶妙なタイミングでの就任となりました。
2025年3月にジバンシィでデビューコレクションを発表
2025年3月、サラ・バートンはジバンシィにおけるデビューコレクションを発表。
彼女が新生ジバンシィに込めたメッセージは、「前へ進むためには、原点に立ち戻る必要がある」という強い意志です。
バートンは、創立者ユベール・ド・ジバンシィ時代のアーカイブを深くリサーチし、オードリー・ヘプバーンが着用したアイコニックなアイテムのエッセンスを現代的に解釈。
クラシックでありながら現代的な解釈を取り入れた構築的なジャケットや、力強くも女性らしいシルエットが高く評価されました。
近年のゴスやストリート色をリセットし、無駄を削ぎ落としたシルエットに集中することで、ブランド本来のエレガンスと現代性を両立させる姿勢を明確に打ち出しました。
バートンは「ジバンシィのDNAはシルエット。それ以外の全てを削ぎ落とすことで、このメゾンの核となるものに立ち戻ろうと考えた」と語っています。
また、「女性の体こそ、もっとも美しいシルエット」という思いも込められており、伝統と革新、そして現代女性へのオマージュがコレクション全体を貫いています。
バートンのアーカイブの咀嚼力や、クラシックを新鮮に見せる技術は、彼女自身のビジョンを貫いているのが垣間見えます。
輝かしい功績
ここでは、デザイナーとしての実力発揮し、認められたサラ・バートンの輝かしい功績を紹介します。
キャサリン妃のドレスを制作
引用vogue
2011年、サラ・バートンはイギリス王室のウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式で、キャサリン妃が着用したウェディングドレスを制作。
このドレスは、アイボリーと白の英国製生地を使用し、伝統的なレースやヴィクトリア朝様式のディテールを取り入れつつ、現代的なシルエットに仕上げられています。
引用wwdjapan
2010年にアレキサンダー・マックイーンのクリエイティブディレクターに就任してからすぐのプロジェクトでしたが、見事にやり遂げました。
そして、英国王室の格式と新しい時代の感性を融合したドレスは、世界中で賞賛され、サラ・バートンの名を一躍有名にしました。
ちなみに、「キャサリン妃のウェディングドレスは誰が作るの?」というマスコミの追跡が何ヶ月もあったそうですが、バートンは母親にすら秘密にしていたため、結婚式の数日前まで誰がドレスをデザインしたのか誰も知らなかったそう。
数々の国際的な評価
デザイナー・オブ・ザ・イヤー2011 引用passionistahub
2011年、サラ・バートンはアレキサンダー・マックイーンのクリエイティブ・ディレクターとして、英国ファッション界最高峰の賞である「デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しています。
同年、イギリス「イブニングスタンダード」紙で「ロンドンでもっとも影響力のある1000人」に選出。続く2012年にはアメリカ「TIME」誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれています。
さらに2012年、英国ファッション業界への貢献が認められ、チャールズ皇太子より大英帝国勲章(OBE)が授与されました。
これらは、サラ・バートンがファッション界で国際的に高く評価されていることを示しています。
サラ・バートンを形作るもの
アレキサンダー・マックイーンとジバンシィという二つの名門ブランドで、その才能を認められたサラ・バートン。
ここからは、彼女を形作るものについてお話します。
マックイーンから受け継いだ美学
アレキサンダー・マックイーン2018SS 引用fashion-press
サラ・バートンは、リー・アレキサンダー・マックイーンの「エレガントかつドラマティック」な美学を忠実に受け継いでいます。
バートンはマックイーンの右腕として長年ブランドに貢献してきた経緯から、ブランドの歴史や価値観を誰よりも理解していました。
その責任感から、創業者の精神を損なわないことを強く意識していたのです。
アレキサンダー・マックイーン2019SSメンズ 引用fashion-press
特に、マックイーンが得意としたシャープなテーラリング、ダークでグラマラスな世界観、そしてドラマティックなドレスメイキングはブランドの核として守り続けていました。
パンクマインドや反骨精神も、マックイーンから受け継いだDNAのひとつ。
アレキサンダー・マックイーン2021AW 引用fashion-press
バートンのマックイーン時代のコレクションには、パンクテイストを感じさせるスタイルが繰り返し登場しました。
服そのものに「力」を宿す創造力
アレキサンダー・マックイーン2024SS 引用fashion-press
マックイーンが大掛かりな装置や演出で劇場性を表現したのに対し、サラ・バートンは服そのものの力でドラマを生み出します。
フォルムやカッティング、ディテールの徹底的な探求によって、奇抜さよりも、最良のバランスを追求した普遍的な美しさを演出しているのがバートンの特徴です。
特に、男性的なアイテムにエレガントなアプローチを加えるのを得意としています。
アレキサンダー・マックイーン2024SS 引用fashion-press
例えば、テーラードジャケットの伝統的な構造をベースにしながら、肩や袖のカッティング、その他のディテールを根本的に見直し、女性らしさを強調したデザイン。
アレキサンダー・マックイーン2024SS 引用fashion-press
ショーは落ち着いた演出でも、服そのものに彼女の考える女性像が込められているため、見る人を惹きつける“インパクト”があるのです。
サラ・バートンは高度な創造性を駆使し、服そのものに力を宿すことのできる稀有なデザイナーといえるでしょう。
詩的な物語性と異要素を共存させたスタイル
アレキサンダー・マックイーン2020AW 引用fashion-press
サラ・バートンのデザインは、詩的な物語性を強く持っています。
この理由は、彼女がインスピレーション源として、ヴィクトリア朝時代やイギリスの歴史、芸術、文化、自然などを重視しているからです。
そのため、バートンの作品には、花や自然をモチーフにした装飾から古代のタペストリーに見られる複雑な模様まで、見る者に物語を想起させるデザインが多く存在します。
アレキサンダー・マックイーン2017SS 引用firstview
そしてその詩的な表現力を、異なる要素、特に「カジュアルとドレッシー」「力強さとエレガンス」など、相反する要素と調和させて独自のスタイルを生み出しているのです。
アレキサンダー・マックイーン2022リゾート 引用fashion-press
例えば、ゴージャスなドレスにワークブーツやスニーカーを合わせたり、デニムやシャツといった実用的なアイテムをガーリーに仕上げたり、女性らしいシルエットのアイテムにパンク調のアクセサリーを合わせたり…。
このようなアプローチによって、バートンは「着ることのできる詩的な物語」を体現し、実用性と感性の融合を実現しています。
育児と仕事を両立するワーキングマザー
バートンと夫のデヴィッド 引用pinterest
プライベートでは2012年に双子を妊娠したサラ・バートン。
2013年のパリコレクションの期間中から産休に入り、双子の女の子を出産しています。
翌2014年のSSシーズンから仕事復帰し、その後は子育てをするかたわら、アレキサンダー・マックイーンのクリエイティブディレクターという重役も担っていました。
彼女自身、「アレキサンダー・マックイーンというブランド自体も自分の子どものようなものだ」と語っています。
家庭と仕事の両方に深い愛情と責任感を持って取り組んでいたことがうかがえます。
控えめで誠実な性格
公式なインタビューや記事から、サラ・バートンは控えめで誠実な性格の持ち主であるとうかがえます。
バートン自身、「私はシャイなタイプ。だから表舞台に出ることにすごく躊躇してしまう」と語っており、華やかなパーティや写真撮影は好まない様子。
ファッションショーの舞台裏やフィナーレでは、カジュアルでリラックスした姿や、少し恥ずかしそうな表情が印象的です。
バートンは、スポットライトを避けて仕事に専念してきたとされ、名声や注目よりも自身のクラフトマンシップや物語性、美しいものづくりへの情熱を大切にしています。
職人気質で、表に出るよりも人のために服作りをし続ける姿勢が、彼女の誠実さを物語っています。
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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
マックイーンの遺志を守りながら、自身の美学を表現し、ジバンシィにもその才能を認められたサラ・バートン。
結婚や出産、子育てなど一人の女性として生きながらも、長きに渡りデザイナーとして活躍し続ける芯のある彼女は、今後も美しくも力強い作品を発表してくれるでしょう。
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